ハードルを上げてるのは誰だ?

前回の話が妙な反響で…ちなみにほぼ毎週そういう話してますが。今日はちょっと別で考えて下さい。



8年前(2000年)に某“桃井はるこは女ヤスタカだ!”ってぶち上げた友人が書いた「書を捨ててスタジアムへ行こう」ってコラムを久々に読んだ。
“ユーべ今何位?”とか何気にツボだったのですが、フットボール観戦者を1人でも多くなってほしいって希望と入り口的なコラムで、今でもとてもいい文章でした。


あれから8年ですが、観客は増えたが、どうも横ばい。もう少し入ってもいいって感想とか自分の中にモヤモヤとしたものがある。これが停滞感ってものなのか!?
そういえばサポーター・ファンを特集した昔のサッカー批評に「スタジアムに集う人々は自由である」って文言があった。
そう、自由であるべきなんですよ。でも、最近のスタジアムに入ったら紅勝てー!白勝てー!みたいな感じでそれしか選択肢のないように見える。ゴールのシーンを楽しみたい!とか曖昧な理由でもいいんじゃないの?って。ひょっとしたらサポーターって言われる存在がその自由を奪ってるのかもしれない。
こればかりは断定はできないが、そいういう説があってもおかしくない。8年たって入り口の先にもうひとつの入り口があるように思える。


同じようになんだけど「フットボールを語るのは自由であり、誰にでもできる」と思う。それはJであり海外であり代表であり五輪であり…。メッシ!メッシ!しか言わなくても反町ジャパンやからなぁ〜とかでもいいじゃないか。なにか狭いことに囚われすぎてるんじゃないかと国内偏重傾向に思うわけで。


ハードルってものは上げたり下げたり自由に調節することができるんだから…。