リスアニ!vol,13の開かれたアニサマとアニソン

ヴヴヴの20ページ特集よりも巻末のひよっちインタビューだけど、グラビアが「コレジャナイ」感よりも歌うことに対して周囲を気にしすぎてる姿勢が気になって…なんからしくないよね。もう少し大胆に歌に対して取り組んでも良いのでは。

で、メインの石pインタビューのページが復活!今回はアニサマの斎藤プロデューサーと「開かれたアニサマ」について色々と語ってる。まず竹達彩奈悠木碧のアルバム曲がアニソンかどうかの議論だが…
   正直どっちでもいい
それよりも最近の彼女達の音楽が凄い!という風潮に違和感があって。○○が作ってるからという典型的な持ち上げ方でジャンルがどちらかと言うとニッチな方向になってるからねえ。それ以上に彼女達には歌手よりも声優としてもっと評価や地位を高めるべきでは。

さて、斎藤プロデューサーがアニサマに感じることがあって

僕は05年、06年の立ち上げのときにプロデューサーをさせてもらって、今回久しぶりに帰ってきたんですが、その間に「アニサマってこうでなくてはならない」という定義というか、民意みたいなものが出来ていて、これが非常に面白かったんです。05〜06年頃のアニサマって「レーベルを越えたイベント」とか「ロックを越えたイベントにしたい」といった意気込みはあったものの、特に決まったカタチはなかったんですが、今だとファンの間でも「アニサマにはシークレットがある」「ど頭からコラボがある」といったことが当たり前のように語られていて。ブランドが大きくなってそう認知される、皆さんそう思っていただけることは良いことなんですが、僕はプロデューサーとして、ファンを裏切りすぎない程度に裏切る必要があると思っています。

これって当時の意気込みからイベント自体が成熟しすぎてしまったことへの苦しい胸の内のように捉えてしまった。イベントの演出がいつの間にか「定義」になり「民意」が独り歩きしまったことが大きいのか。アニメってヲタの世界で参入しやすい世界になってしまったことも影響してるのかな。
結局アニサマは定義や民意をぶっ壊すことなく定義や民意をストーリーに乗せてしまったわけだが。

さて、今年のアニサマT-Pistonz+KMCを呼んだ意図はよくわかる。イナイレのユーザーから彼らのパフォーマンスを見てアニサマでのコアユーザーから新規ファンを果たして獲得できるのか。石pはコアユーザーvsライトユーザーの構図が交ざり合う世界を望んでるわけだが、ヲタにとってはライトユーザーの流入には良く思わないわけで。だってライブのチケットが取りにくくなるじゃんwコアユーザーが交ざり合うことで幸せには繋がらない。コアにとって簡単に扱われることって一番嫌なわけで。

そして、いつものネットに対する不満があって

明らかにネット世論によってアニメやアニソンの評価が決められていってるような気がします。いわゆるまとめサイトの影響でしてね。 

そう言ってる石P自体が一番まとめサイトを気にしてるような…。ネット世論とか気にせずに語れば良いのに。それがコア層だと思うわけですよ。
先日モモーイがゲストの吉田アナの場外ラジオを聴いていて、アニメだけが好きな純粋なアニヲタが多くなっていてネット世論に少なからず影響してるのかなって思う。本来あるべきコア層やヲタってのは軸となる趣味「アニメ」という趣味ともうひとつの軸となる趣味のジャンルが存在していて会話になるとそれが盛り上がる要因となる。色々な好きなものの興味のあるもののジャンルが絡み合うとそういう現象が起こるわけで。ヲタって色々なものに興味を持つと「歴史」を知りだがるもので、そこから「教養」がついてくるわけで。
そういう違和感を感じる層が「にわか」なんでしょうね。それを否定はしないけどなんだかなあ…。でも石Pはコアユーザーだけでアニサマは埋まるってオチがついていてこの対談はナシじゃないけど…。ただインタビュアーの最後の質問が

保守層がいるのは確かなことだが、アニソンがカジュアルなってきてる分、今年はむしろライトユーザーにも届く内容、気配りに力点を置いた「開かれたアニサマ

やはりズレてるよね。